「今がいちばん幸せ」と語る、57歳芸人の生き様【芸人「幸福」論】
一度は役者の道にもすすんだ。「冷蔵庫マン」の場合
■ギャグはヒエヒエ、心はポカポカ
その男が舞台に登場すると、会場は何ともいえない幸せな空気になった。
男は真っ白に塗った段ボールを上半身にかぶり、自分を「冷蔵庫」に見立てている。
「ヒエ(冷え)、ヒエ、ヒエ〜」と高いテンションで叫びながらダジャレを言う。そう、冷蔵庫だけに冷え冷えのギャグが売りなのだ。
「なんだあいつ、松茸狩りであんなに喜んだのに1時間も遅刻だよ。絶対許せねー」
「待ったぁ?」
「けっ!」
「松茸」と「待ったぁ?けっ」……。戦慄のダジャレである。最後に「さーむい! 寒い!」と言い放ち、男は冷蔵庫の扉をバタンと閉める。
「お笑いライブを冷やしに来てやったぜ!」。彼はオバマ前アメリカ大統領と同い年。2018年で57歳になる。冷蔵庫マンは段ボール越しに「今がいちばん楽しい」と笑顔で語る。いったい、何がどうなったのか。
冷蔵庫マンこと飯塚俊太郎は昭和36年5月2日に千葉県野田市に生まれた。醤油で有名な「キッコーマン」の街でもある。市役所勤務の父親は厳しかった。飯塚は子どものころに父親と会話した記憶がほとんどない。父親に見ることを許されたテレビ番組はなぜか『必殺仕置人』(TBS系)だった。
「理由は分からないです。会話がないので」
次第に飯塚少年は母親が働く図書館に出入りするようになる。絵本を読んで空想するのが何よりの楽しみになった。
学校では空気を読まない子供で、自分が面白いと思うことを思うがままにやってクラスの人気者だった。中学、高校の学園祭では活躍し、学級委員長も務めた。よく告白もされた。
そんな飯塚の大きな挫折は大学受験だった。14校を受験してすべて不合格。世間では受験生の自殺が深刻な問題になっていた頃である。暗い部屋で落ち込んでいた飯塚がやっと電気をつけたとき、父親のシルエットに気づいた。そして初めて励まされた。